追悼、石原武龍氏 NPO法人WEBREIGO理事
追悼 石原武龍さん
当団体の理事である石原武龍さんは
2018年8月24日午前6時52分
スキルス胃がんのため、
東京都渋谷区にある日本赤十字社医療センターで逝去されました。
享年66歳。
慎んでご冥福をお祈り申し上げます。
石原武龍さんは当団体の理事として5年にわたりご活躍をされていました。
石原武龍さんは若い世代に脚本家という仕事の楽しさ、喜び、そして、 もの作りの厳しさを伝えていきたいという思いがあり、 無限の可能性のある高校生の育成支援に熱心に行ってこれらたのです。
理事として淑徳巣鴨高校の脚本家講座を通年開設し、 講座で生徒に実際に脚本を書いてもらい、それを映像化し、 学園祭で発表するというプログラムを監修されていました。
時には、ご自身のお知り合いの俳優さんや助監督を連れてきて、プロの演技、プロの監督指導も生徒に披露してみせました。 素人の書いた脚本を素人が演じているにも関わらず、 プロである石原氏は1つも手を抜くことはされませんでした。
何時間でも指導され、送られてきた脚本に添削して送り返す。 ご自身もお弟子さんの塾生をお持ちでしたが、なんら変わることない細やかな指導でした。
そして石原武龍さんの一番の魅力は誰にも優しいこと、ひょうきんなこと。
ひょうきんな石原武龍さんは、「まいったなぁ、がん保険にしか入ってないけど、 がん以外の病気でも保険おりる?」と周囲に質問される勢いで、 とりあえず死ぬなら、がんで死ぬのだろうとご自分でお決めになっていたところがあります。
何も、その通りにがんを引き当てなくてもいいと思うのですが、一般人を驚かしてなんぼの脚本家としては、 きっちり、がんで亡くなりました。
それも入院してから4日目という早さでした。
「がんで死にたかったのだと思います。」ご家族がもらされた一言が心に響きます。
7月23日に高校生対象に脚本講座をされ、その日に消化器系の専門医をご紹介し、これで安心と喜んでいらっしゃいました。 ただ、その時体重が10キロ減ったとぽつりとつぶやかれたときにアレと、気になりました。
少し前から体調不良があり、不良がどこにあるのかと、今まで病院を訪れたこともなかったとのことでしたが、近所の病院を訪れ、 検査入院で、生まれてはじめて胃カメラを飲んだということだったのですが、その時は急性膵炎か? と、今一つ原因分かりせんでした。
7月10日に退院され、この23日の脚本家講座の翌日24日から食事制限が一度解除されると喜んでいらしたのですが、 体調不良が収まらず、8月14日に再度近隣の病院を訪れ、20日に日赤に転院し、4日めの朝、帰らぬ人になりました。
9月22日土曜日に映像発表会が予定されていましたし、亡くなられた24日は撮影予定日でした。
その間、あまりに急なことで我々は知る由もありませんでした。
「心配しないでください」という言葉に体調が悪い時に干渉されるのも お疲れになるという遠慮もありましたが、
どこか、真に受けていたところもあると思います。 分かった時にはすでに遅かったのです。
まさか、という衝撃しかありませんでした。
石原武龍さんの存在はあまりにも大きく、なかなか埋められるものではありません。
それでもご希望通りに人生を歩んだであろうと、周囲は思わせてもらいました。
また、来世であいましょうと、お約束しましたし、あちらではお会いできるでしょう。
一足先に走っていって、我々を見守ってくださっていると思うことにしました。
お得意の「めんどくせぇ」と苦笑されるお顔を思い出しながら追悼しています。
石原武龍先生、またお会いしましょう。